木曾山林資料館

                   

[この題字は演習林管理棟の入口に掲げてある館銘板の文字から起こしたものである。木曽町開田高原在住の椙本清美氏の揮毫による。]

木曾山林資料館2014.5.24OPEN

TEL.0264-22-2007 

〒397-8567 長野県木曽郡木曽町新開4236 木曽青峰高校新開キャンパス内

展示物の紹介(その5)はじめての林業教科書

展示物の紹介(その5)はじめての林業教科書

 きょうは、シリーズになってしまった「展示物の紹介」の5回目になりました。
 明治34年(1901)開校の木曾山林学校で、初めて使われた林業の教科書について紹介したいと思います。
 今なら教科書がないという学校生活は考えられませんが、あの当時、全国ではじめて設置された「林業科」の実業学校では、国語や数学の教科書はあっても、専門の林業関係の教科書は何もなかったのです。先生方は自分の大学生の時のノートやドイツ林学の原書を教室に持ち込んで教えていたのです。
 最初の林業の教科書は、木曾山林学校が始まってから6年経った明治40年3月に発行された『林學通論』でした。この教科書を編纂したのは東京帝国大学農科大学教授の本多静六博士ですが、本多博士の話はまた何れ機会があれば取り上げたいと思いますが、きょうの主役は、その教科書を最初に使った生徒の話です。

 明治40年4月に木曾山林学校に入学した甲田林君は、我が国で最初に生まれたその林業教科書を手にすることが出来たのです。そしていま、筆者の手許にある教科書はその甲田さんが戦後になって母校に寄贈してくれたものです。写真でご覧の通り細かい書き込みがびっしりとあります。赤ペンで記入されたものと、鉛筆書きのものと2種類あります。(当館においでいただける機会がありましたら、手にとってご覧になってください。) 甲田さんは山林学校卒業後に北海道の国有林(内務省所管)に就職し、道内各地で林業技術者としての生涯を送りました。退職後には請われて北海道森林管理局所管の「洞爺湖森林博物館」の館長を務められました。その仕事も一段落したとき、これで自分の林業一筋の生活が終わったことに安堵し、生涯にわたって手許に置いて参考にしてきた教科書をすべて母校に送ってくれたということです。

<付記>当資料館のホームページのトップページから、右側の目次(バナー)の「歴史の中のエピソード」というコーナーに[◇本多静六と山林学校のかかわり]という記事がありますので、そこにアクセスして目を通していただければ有難いです。

«