木曾山林資料館

                   

[この題字は演習林管理棟の入口に掲げてある館銘板の文字から起こしたものである。木曽町開田高原在住の椙本清美氏の揮毫による。]

木曾山林資料館2014.5.24OPEN

TEL.0264-22-2007 

〒397-8567 長野県木曽郡木曽町新開4236 木曽青峰高校新開キャンパス内

資料館のブログ

きょうで今年の開館が終ります

 木曽谷の山の木々はすっかり葉を落とし、初冬の風が吹いています。11月15日に狩猟が解禁になりましたが、昨年の豚熱の影響が続いていてイノシシはほとんど姿をみることがなくなり、代わって元気なのはニホンザルのようです。

 きょう26日で、当館の今年度の公開は終了となります。明日27日から来年3月末まで長い冬期休館となります。ブログもお休みします。何か特別に連絡したいとか、聞きたいことがある場合は、お問い合わせページのお問い合わせフォームから連絡してください。

 今年は新型コロナウィルスの影響もあって来館者が少なく、ちょうど100人でおわりとなりました。ホームページへのアクセスは前年よりはるかに多く、1年間で1万件をちょっと超えました。これもコロナの影響かもしれません。ありがとうございました。

 来年2021年度は、開館日を木曜日から土曜日に変更する予定で準備したいと思っています。間際になりましたら改めてホームページでお知らせします。
 それでは新型コロナにもインフルエンザにも負けず、この冬を乗り越えてください。

秋の行事がいろいろありました。

 きょうは11月19日です。10月22日を最後にブログをお休みしてしまい申し訳ありませんでした。
 秋の行事がいろいろあって、ブログを発信できませんでした。

●10月29日(木)、この日、森林総合研究所の井上真理子さんが当館に来てくださいました。井上さんは我が国で数少ない森林教育の研究者で、当館の「林業教育資料」を林業遺産に申請する際に、その推薦者になっていただき、申請書の作成に甚大なお力をいただいた方です。
 久しぶりに当館を再訪され、時間をかけて展示物を熱心にご覧いただきました。当館が誇る林業関係の教科書には以前から関心をお持ちで、今回も数点の戦後すぐのころの教科書を研究のためお貸ししました。当館の資料が役にたつということは嬉しいことです。
 秋の素晴らしい晴天でしたので、地蔵峠からの御嶽山を眺めていただき、その足で「木曽馬の里」も訪れて、のんびりと草を食む木曽馬を愛でていただきました。

●11月6日(金)、この日は北里大学の学生 I 君が、「学芸員」の資格取得のための【博物館学実習】の単位取得のため来館されました。メインは木曽町の「御料館」で実習を行っていたのですが、当館の林業にかかわる珍しい資料の見学と、収蔵資料の保存のためのいくつかの試みを体験してもらいました。私自身の学芸員資格の実習の頃を思い出し、これからの一層の勉学を期待して準備をしました。

●11月13日(金)、毎週のように続く行事の最後に、当館を会場にして木曽町公民館の「木曽学講座」が開催されました。テーマは「江戸時代の木曽山林業」というもので、当館の山口が講師を担当しました。
 このテーマをどう取り上げるかについてはさまざまな切り口があるかと思いますが、私はオーソドックスに「林政史」という視点で、江戸時代の木曽で何がおこなわれたかを明らかにしようと考えました。
 具体的には「江戸時代 木曽林政史年表」をA3の用紙1枚にびっしりと書き込み、その年表を読むための用語等を解説した補足資料6ページを添付しました。
 250年の歴史を1ページに圧縮する作業には、いささか無理もありましたが、あの時代、尾張藩も必死で木曽のヒノキを守ろうとし、代官の山村氏も関所の運営と木曽山の管理という大仕事を苦労してこなし、その下で木曽谷の住民が貧しさの中で重労働に立ち向かった姿を、少しでも理解してもらえばという気持ちで話をしました。
 三十数名の方が参加され、中にはホームページで見つけて名古屋市から参加された方もいて、熱心に勉強されました。関係者の皆様のご苦労に感謝申し上げます。

 

展示物の紹介(その11)校歌のレコードとCD

今秋の紅葉は猛暑の影響なのか遅れ気味で、資料館の眼前の演習林はようやく緑一色から少し色のついたものがチラチラするようになってきました。

さて、今日のブログは「展示物の紹介」シリーズなのですが、まだ展示したことがないものです。書庫のダンボールの中に眠っていました。
校歌は学校のスタートよりも10年以上遅れて、大正3年6月に誕生しました。戦後も同じ校歌をごく1部歌詞を変更しただけで歌い継がれています。

きょう紹介するのは2点あります。一つは95周年記念にあたって作成したCDで、東京混声合唱団に歌ってもらったものです。もうひとつは、昭和36年に録音したレコード盤で、山林高校のOBでもその頃在校していた人以外はほとんど知らないでしょう。
歌っているのは、当時の在校生の有志で結成した「山林合唱団」の面々です。指導されているのは音楽の小宮山載子先生です。小宮山先生は木曽東高校が本務で、山林高校には週1日だけ講師として来ていただいていました。(そこで蛇足ですが、当時、福島町にはまだ木曽山林・木曽西・木曽東の3校がそろっていた時代でした。そして、3校の有志教員による「サボテンコーラス」というサークルがあったのです。載子先生のご主人の小宮山東(あずま)先生が代表で、サボテンというのは、いつも10人くらいサボって来ないからつけられた名前だそうです。各高校の文化祭には必ず出演して喝采を浴びたものです。古き良き時代でした。蛇足おわり)

とんでもない脱線ブログになってしまいましたが、学校をめぐるエピソードは後がつきません。

 

レコード盤の校歌(1:09)です。音量に注意してください。

林業大学校学生の見学

きょうは、秋らしい爽やかな風が吹いています。準備室の下を散歩の保育園児がにぎやかに通っていきます。

きょうは、近くの「長野県林業大学校」の学生さんの来館が予約されていました。いつもは5月頃に来るのですが、今年は新型コロナウィルスの影響で秋にずれこみました。全員マスク姿で元気でした。
校長先生から、我が国の林業近代化の中で、木曽の果たした位置づけのようなことを話してほしいという要望がありましたので、伐木運材に関することで、森林鉄道が江戸時代の「木曾式伐木運材法」にかわって、林業生産を引っ張ってきたことや、大正9年に我が国最初の「架線集材」が木曽でおこなわれたときの写真を見てもらったりして、水運から陸運へ大きく転換したことを解説しました。
その他、実習で使った測量器具や木曽五木の材鑑、明治40年にはじめて出版された林業の教科書にまつわるエピソードなど、いろいろ話をしました。

きょうの見学の中で、頭の片隅に何かひとつでもよいから残ったものがあればよいのですが。

 

 

展示物の紹介(その10)10月8日、木の日にちなんで

きょうは、10月8日、漢数字では十月八日と書きますから、漢字の組み合わせから「木の日」だそうです。
そう言われて、木の標本をたくさん持っている当館としては、何か珍しい木を紹介しないわけにはいきません。
そこで、小笠原諸島の固有種であるマルハチ(ヘゴ科:写真左)とタコノキ(タコノキ科:写真右)を選んでみました。この2種類の木は、昭和8年(1933)に木曾山林学校開校30周年記念の「林業展覧会」に出品されたものです。

出品者は当時、東京営林局小笠原営林署に勤務していたOBの柳澤止之進さん(第12回・大正4年3月卒業)です。蘇門会(木曾山林学校同窓会)の呼びかけに応じて寄贈してくれたものです。
写真を撮るために持ち上げてみたら、マルハチは11㎏、タコノキは7㎏とかなりの重量です。小笠原から船便で送ってくれたのでしょうが、貴重な標本を寄贈していただいたことに感謝です。このようなOBの方々のご協力のおかげで、この資料館の展示資料が成り立っているのです。

                断面(左マルハチ、右タコノキ)

マルハチ(ヘゴ科)
小笠原の湿った森の中に群生している木本性のシダです。
根元の直径は30cmあります。樹高は10mくらいになるそうですが、写真のものは展示用に1mの長さです。葉柄が落ちた跡に漢字の八のような模様が出るのでマルハチという名前がつけられたのです。
観葉植物として鉢植えにして室内装飾として人気があります。

タコノキ(タコノキ科)
海岸に近いところに生育し、気根がびっしりとつきます。南西諸島や九州南部にみられるアダンの仲間ですが、タコノキは小笠原諸島の固有種です。高さは10mくらいになります。
観葉植物として楽しまれますが、葉は乾燥させて裂いて、織物や編み物の材料に使われるようです。

展示物の紹介(その9)新築落成記念「写真帳」

 今日は木曾山林学校の初期の頃の様子を紹介しようと思います。

 木曾山林学校は明治34年4月に開校しました。その時は西筑摩郡の高等小学校の旧校舎を使用して授業が始まりました。その後、郡立から県立に移行し、新しい校舎の建設がはじまりました。

 新校舎は、旧福島町から旧新開村の現在地に移し、大正2年10月20日盛大に落成式がおこなわれました。画像は新旧校舎の写真で、ほかに校舎内部・実習風景・初代~3代校長肖像・生徒及び職員・第1~10回卒業生の写真等が掲載されています。
 この2冊の写真帳は、芦沢正三元校医と卒業生の甲田林氏(第7回・明治43年卒)から寄贈されたものです。

 きょう、たまたま埼玉県から、中山道を何回かに分けて歩かれているという方が資料館に立ち寄られましたが、義理のお父さんが1年前に92歳でお亡くなり、そのお父さんが木曾山林学校の卒業生なので、どんなところで青春を過ごしたのか見てみたいという思いもあって来られたそうです。
 お父さんは昭和18年12月の卒業ですから、「この写真帳に出ている校舎と寄宿舎で学んでいたのですよ」とお話しました。
 生前にもっと昔のことをいろいろ聞いておけばよかったなとおしゃって帰られました。

 

 

資料館の「講義室」が使われました

 きょうは、9月25日(金)です。毎週木曜日にブログを更新しているのですが、今回は訳あって1日遅れました。
 きょう当館を会場にして、長野県の農業高校の農場主任の先生方の会議があり、資料館の講義室を使用するのでその様子をご紹介しようということにしたのです。

 この部屋はかつて木曽山林高校のインテリア科のデザイン実習に使われていた部屋です。隣の準備室の中窓から映写ができますし、もちろんプロジェクターからの画像を表示するスクリーンも天井から下がっています。絵具を使うこともある実習でしたから、流し台も完備しています。小中学生の団体見学者が来た時の控室にも使えます。
 住民の皆さんの作品展などに、是非、有効利用をいていただければと思って紹介しました。

 きょうの農場主任の皆さんは、会議終了後資料館の展示を見学してくださいました。この資料館は、108年の歴史を閉じた県立高校に残されてきた林業教育に関係する資料を保存展示しているわけですが、長野県の高等学校の再編が進行している現在、後世に残していかねばならないものは何かを考えるキッカケにしていただければと願うものです。

きょうは珍客が来ました

  朝、きょうのスタッフ4人でお茶を飲んでいると、窓の外で「ギャーギャー」という濁った大きな声がします。
15メートルほど離れたところの木の梢に大きなアオサギが止まっていました。
資料館の東側には小さなダム湖があるのですが、そこは普段はカルガモが群れています。最近は泥が厚く積もって水深が浅くなったせいで、コサギ・ダイサギ・アオサギたちが浅瀬に降りて魚を狙うようになりました。
しかし、崖の上の資料館に近い樹林帯に来たのは初めてです。1日中、ときどき上がってきてはギャーギャー鳴いていました。もちろん、資料館の見学に来たわけではありませんが、我々としては珍客の来訪だと喜んでいます。

 午後3時過ぎに、東京から一人来館者が見えて、明治時代の山林学校創立時のエピソードを熱心に聞いてくださいました。
アオサギが呼びよせてくれたのかなと一瞬思いましたが、それは私の妄想です。

こんな一日もあるのです。

展示物の紹介(その8)教室で使われた「掛図」

 きょうは、久しぶりに資料館の室内温度が30度を下回り、ほっとしています。
 きょうのブログをいろいろ考えてみましたが、やはり「展示物の紹介」に気持ちが向かってしまいます。まだまだ、公開展示をしていない逸品がぞくぞくと頭の中に湧いてくるのです。

 そこで今日は、山林学校時代に授業で使った「掛図」を紹介しましょう。
現代は小・中・高どこでも、先生方はプロジェクターを使って地図とか標本を写しだしたり、場合によっては動画も見せたりして便利な世の中になりました。
 木曾山林学校時代は、その代わりをしたのが掛図でした。資料館の収蔵庫にはいろいろな掛図が残っています。教材掛図を専門に作製して学校に売り込む業者もいましたが、きょうは珍しい手作りの掛図をご覧にいれましょう。

 作者は、山林学校の卒業生で本校の助手をやっていた《川崎本雄》氏です。山林学校の第4回生で、木曽福島の出身です。当時、初めて助手として採用され、先生の実習での指導を手伝い、授業の準備などを行っていました。
 運動も得意で卒業後、新潟県の妙高高原で開かれた日本で最初の外人によるスキーの講習会に参加してスキーをマスターし、木曽に初めてスキーを紹介をしたのが彼でした。
 大正時代に同窓会の設立を卒業生に呼びかけ、「蘇門会」という名前の同窓会を立ち上げるのに大きな力を発揮しました。

 さて、具体的な掛図の紹介ですが、川崎本雄氏がおそらく書物から写し取ったものと思われます。左は「炭竃」の断面図、右は木材を運搬するときの橇(そり)ですが、コピー機もなかった時代にこうした掛図が教室で活躍したのでしょう。
 当館には教材用の掛図が十数点残っていますが、機会があれば「昔の授業風景」というようなタイトルの展示ができれば面白いなと密かに思っています。

御嶽海の活躍を願って

 猛暑のピークはどうやら過ぎたようですが、今日も資料館の室内で30度越えです。
まだまだ油断できません。熱中症予防にスタッフには冷たいほうじ茶を強制的に飲んでもらっています。

 さて、10日後の9月13日(日)から、大相撲秋場所(9月場所)がはじまります。観客を2500人に絞っての特別な場所になります。新型コロナウィルスの陽性者が途中で出たりすると大変なことになりますから、何とか千秋楽まで無事過ぎればと願うのみです。

 そこで、当資料館とも縁のある御嶽海の活躍を期待して、第一展示室前の廊下の御嶽海コーナーの充実をしました。
 御嶽海の出身校である木曽青峰高等学校森林環境科の実習室前の廊下に展示してあった御嶽海の初優勝時の号外や新聞記事を張ったパネルが、手狭になって起ききれないということで、こちらに引っ越ししてきました。
 きょうは、それらを壁に吊るして来館者にもあの時の感激を思い出していただき、今場所の活躍を応援したいと考えて、一汗かきました。