木曾山林資料館

                   

[この題字は演習林管理棟の入口に掲げてある館銘板の文字から起こしたものである。木曽町開田高原在住の椙本清美氏の揮毫による。]

木曾山林資料館2014.5.24OPEN

TEL.0264-22-2007 

〒397-8567 長野県木曽郡木曽町新開4236 木曽青峰高校新開キャンパス内

資料館のブログ

資料館に御嶽海コーナーを開設しました!

今年の紅葉前線はまだまだ長野県には降りてきません。
山裾にちらちら黄色の葉が見える程度で、斜面は緑一色です。

というわけで、今日の「季節の便り」はまたまた御嶽海に登場願いました。
安藤先生が「祝 優勝」の幟旗を持ってきてくださったので、急遽、「御嶽海コーナー」を設けました。
まだ、「マンガ武道風土記 緑の木曽谷にハッキヨイ」の掲載された雑誌『武道』3冊と、信濃毎日新聞社が不定期に発行している御嶽海の活躍の記録をまとめた冊子4冊だけですが、だんだんに充実させていきたいと思います。

御嶽海はいま巡業の真っ最中です。最新情報によると、出羽一門の栃ノ心・栃煌山らといっしょに、朝8時の稽古始めから土俵下に勢揃いして、若手に声をかけたり、稽古を付けたり、充実した日々を送っているそうです。

遅い秋の訪れ

今年の秋はどこへいったのだろうという会話が交わされるほど秋の訪れは足踏みしています。
マツタケはおろか雑キノコもさっぱりです。きょうの私の昼食は、スーパーで購入したマツタケ入りのおこわでしたが、人工的な香りがプンプンして気持ち悪かったです。

資料館の周りや演習林の吊り橋の付近を歩いて、秋を探してみましたが、校門を入って右手の前庭のドウダンツツジがかろうじて色づきはじめていました。これがきょう私が見つけた「小さな秋」です。

御嶽海優勝おめでとう!

今、木曽谷は御嶽海の2度目の優勝という快挙に沸いています。役場や学校や、商店の軒先にも「優勝おめでとう!」の懸垂幕が下げられています。
当資料館でもささやかですが受付テーブルの横に、優勝した9月22日の夜の号外を飾りました。御嶽海は実はこの資料館のある木曽青峰高校新開キャンパスの旧木曽山林高校の相撲場で、高校3年間稽古に励んだのです。

 

ところで、もう1枚の画像をご覧ください。

『武道』という名前の月刊誌です。日本武道館が発行している剣道・柔道・弓道等々いろいろな武道を網羅している格調高い専門誌です。
その8月号から10月号にかけて3回連載で「緑の木曽谷にハッキョイ!」というタイトルで、御嶽海を生んだ木曽の相撲が紹介されています。
「日本武道風土記」というシリーズのひとつで、それぞれの地方に独自に花ひらいた武道を、地域の自然や人々の取り組みの中で紹介しています。作者は、マンガ家の[田代しんたろう]さんです。木曽には6月下旬に取材に訪れ、この資料館にも2時間ほど滞在して、昔の山林学校の相撲部が町の相撲大会で活躍したことや、御嶽海の高校生活のエピソードなどを仕入れていきました。

ご覧になりたい方は、木曽町交流センター内の図書館と、当資料館で閲覧可能です。

噴火から5年を迎える御嶽山

 2014年(平成26年)9月27日に突然噴火し、死者・行方不明者63名という戦後最大の被災者をだした御嶽山の噴火から5年の年月が過ぎました。あのとき御嶽山に登っていて命からがら生還された方・被災された方のご家族の皆さん・救助に当たられた地元町村の関係者の方々にとっては、長くもあり短くも感じられる5年間であったと推察いたします。

 今日の御嶽山の姿をご覧にいれます。撮影地点は、木曽町キビヨ(昔の木曾福島スキー場の跡地)す。乗鞍も穂高も見えるのに、残念ながら御嶽山だけは田の原から上は雲がかかって見えませんでした。

 あの噴火のとき、木曽山林高校OBの垣外冨士男さん(昭和45年3月卒)は、王滝頂上から八丁ダルミを通って頂上に向かっているところで噴火に遭遇したそうです。そのときの詳しい状況は、ご本人がヤマケイ新書『ドキュメント御嶽山噴火』(山と渓谷社, 2014.12)の中に書かれています。
 噴火から5年経過した今、改めて噴火の恐ろしさを思い起こしてみてはいかがでしょうか。(本日の撮影) 

林内作業車の運転練習

きょうは、朝方は肌寒かったのですが、気温は急速に上昇。湿度もグングン下がって、爽やかな天候となりました。

先週に引き続き、青峰高校生の実習の様子を紹介しましょう。
きょうは「農業機械」という科目の実習で、林内作業車の運転です。林内作業車は初めてなのでエンジンのスタートと作業車の平地での運転を繰り返しやりました。


写真でおわかりのように、空は青く澄み渡り気持ちの良い野外実習です。演習林の木々はまだ紅葉の気配はなく、きのこ類も今年は陽気が暑すぎて全然顔を出しません。

ヒノキの皮剥きをしました

今日は秋雨前線の動きが少し予報を外れて、まあまあの天気になりました。
森林環境科の先生が、今年の春に演習林で間伐したヒノキの皮剥きを試しにやりました。
50年ちょっと経った樹です。カメラを向けてシャッターを押そうとすると、ヒノキ独特の芳しい香りがあたりに充満しています。樹が生きているという感じがひしひしとします。

今日の試しはそろそろ皮剥きをしないとムシが入るかもしれないということでやってみたのですが、まあ大丈夫のようでした。
近いうちに生徒が実習で皮剥きをし、室内で陰干しをしてから製材ということになります。

夏から秋への端境期は「季節のたより」も苦労しますが、そろそろキノコの季節を迎えますので楽しみにしてください。

 

 

トチノキの実が大きくなりました

きょうは、トチノキの実です。
資料館の準備室の窓から300ミリの望遠レンズで撮りました。
5月30日のブログでこのトチノキの花を紹介しましたが、ご記憶にあるでしょうか。

あれから3ヶ月半が経過して、しっかりと実がついています。豊作のようです。
これから実が堅くなって、表面に独特のシワが出てきます。

季節は夏から秋へ足早に動いていきます。

ダム湖にシラサギの群れが飛来しました

九州では今年何回目になるのでしょうか。豪雨が降り続いています。
木曽地方も御嶽山をはじめとして、昨日は100ミリ以上の雨が降りましたが、幸い被害はありません。中央西線も順調に運行しています。

この異常な雨と関係があるのかどうかわかりませんが、今朝、資料館の前のダム湖にシラサギの群れが現れました。撮影者によると15羽いたとのことです。大きさから判断してダイサギかと思われます。これまでもダイサギとコサギがたまに数羽飛来して、棒杭に止まって魚をねらっていることはありました。

野鳥が現れるのは、楽しく嬉しいものですね。

夏の演習林

このところ、山に囲まれた木曽でも猛暑日になったり、急な雷雨が襲ってきたり、激しい天候の変動がみられます。
5月にご覧に入れたブログでは、明るい変化に富んだ緑に輝いていた演習林は、すっかり濃い緑というか、黒い緑という表現がピタリのような沈んだ山肌になっています。

その森からセミの声だけは激しく聞こえてきます。死を目前にして子孫を残すための壮絶な闘いをしているのです。
建物の中から、直射日光を避けて撮影した写真で真夏の山の表情を感じていただければ幸いです。

8月15日 終戦記念日/戦没者慰霊の日

きょう8月15日は、終戦記念日であるとともに戦没者慰霊の日です。
木曾山林学校の卒業生の中にも、何人も戦死をしたり戦病死したOBがいます。
それらの方々の生前の活躍を思いおこしつつ、ご冥福を祈りたいと思います。

木曾山林学校では、先の太平洋戦争が予想されるような状況となった昭和15年5月15日に、そのときまでに戦争で亡くなった同窓生の慰霊祭を学校をあげておこないました。そのときの様子を記録した写真を紹介しましょう。
第1回卒業生で、日露戦争に従軍して軍馬の飼育・調教の仕事をしていた中村茂氏(開田村出身)をはじめとして、11名の同窓生が先の大戦の前にすでに命をおとされています。太平洋戦争中の戦死者はわかっている範囲で14名にのぼります。
戦時下に在学していた生徒は、勤労動員で北海道の十勝へ援農で長期間出かけたり、木曽郡内のダム建設や御料林の現場に派遣され、森林鉄道の運転補助の作業中に足を滑らせ轢死した生徒も2名出るという痛ましい事故もありました。

一方、山林学校を卒業して海外の植民地で林業に携わっていたOBも数多くいました。昭和13~14年頃には、朝鮮59名、台湾23名、カラフト55名、満州28名という記録も残っています。外地では同窓生どうし親交を深め、励まし合って仕事をしていたようですが、終戦とともにどのように故国にもどれたのか、ほとんど詳しいことはわかっていません。

毎年、終戦記念日には国中で慰霊の行事がおこなわれますが、なくなられた同窓生のご冥福を祈りつつ、平和への誓いを新たにする日にしたいと思います。

         第一展示室に展示してある戦死者の氏名や勤労動員の様子などのパネル