木曾山林資料館

                   

[この題字は演習林管理棟の入口に掲げてある館銘板の文字から起こしたものである。木曽町開田高原在住の椙本清美氏の揮毫による。]

木曾山林資料館2014.5.24OPEN

TEL.0264-22-2007 

〒397-8567 長野県木曽郡木曽町新開4236 木曽青峰高校新開キャンパス内

資料館のブログ

トチノキの実が大きくなりました

きょうは、トチノキの実です。
資料館の準備室の窓から300ミリの望遠レンズで撮りました。
5月30日のブログでこのトチノキの花を紹介しましたが、ご記憶にあるでしょうか。

あれから3ヶ月半が経過して、しっかりと実がついています。豊作のようです。
これから実が堅くなって、表面に独特のシワが出てきます。

季節は夏から秋へ足早に動いていきます。

ダム湖にシラサギの群れが飛来しました

九州では今年何回目になるのでしょうか。豪雨が降り続いています。
木曽地方も御嶽山をはじめとして、昨日は100ミリ以上の雨が降りましたが、幸い被害はありません。中央西線も順調に運行しています。

この異常な雨と関係があるのかどうかわかりませんが、今朝、資料館の前のダム湖にシラサギの群れが現れました。撮影者によると15羽いたとのことです。大きさから判断してダイサギかと思われます。これまでもダイサギとコサギがたまに数羽飛来して、棒杭に止まって魚をねらっていることはありました。

野鳥が現れるのは、楽しく嬉しいものですね。

夏の演習林

このところ、山に囲まれた木曽でも猛暑日になったり、急な雷雨が襲ってきたり、激しい天候の変動がみられます。
5月にご覧に入れたブログでは、明るい変化に富んだ緑に輝いていた演習林は、すっかり濃い緑というか、黒い緑という表現がピタリのような沈んだ山肌になっています。

その森からセミの声だけは激しく聞こえてきます。死を目前にして子孫を残すための壮絶な闘いをしているのです。
建物の中から、直射日光を避けて撮影した写真で真夏の山の表情を感じていただければ幸いです。

8月15日 終戦記念日/戦没者慰霊の日

きょう8月15日は、終戦記念日であるとともに戦没者慰霊の日です。
木曾山林学校の卒業生の中にも、何人も戦死をしたり戦病死したOBがいます。
それらの方々の生前の活躍を思いおこしつつ、ご冥福を祈りたいと思います。

木曾山林学校では、先の太平洋戦争が予想されるような状況となった昭和15年5月15日に、そのときまでに戦争で亡くなった同窓生の慰霊祭を学校をあげておこないました。そのときの様子を記録した写真を紹介しましょう。
第1回卒業生で、日露戦争に従軍して軍馬の飼育・調教の仕事をしていた中村茂氏(開田村出身)をはじめとして、11名の同窓生が先の大戦の前にすでに命をおとされています。太平洋戦争中の戦死者はわかっている範囲で14名にのぼります。
戦時下に在学していた生徒は、勤労動員で北海道の十勝へ援農で長期間出かけたり、木曽郡内のダム建設や御料林の現場に派遣され、森林鉄道の運転補助の作業中に足を滑らせ轢死した生徒も2名出るという痛ましい事故もありました。

一方、山林学校を卒業して海外の植民地で林業に携わっていたOBも数多くいました。昭和13~14年頃には、朝鮮59名、台湾23名、カラフト55名、満州28名という記録も残っています。外地では同窓生どうし親交を深め、励まし合って仕事をしていたようですが、終戦とともにどのように故国にもどれたのか、ほとんど詳しいことはわかっていません。

毎年、終戦記念日には国中で慰霊の行事がおこなわれますが、なくなられた同窓生のご冥福を祈りつつ、平和への誓いを新たにする日にしたいと思います。

         第一展示室に展示してある戦死者の氏名や勤労動員の様子などのパネル

猛暑の中でのフォークリフトの講習会

木曽節の中に「夏でも寒むーい、よい・よい・よい」と唄われていますが、今年の木曽の暑さは桁外れです。
鉄筋コンクリートの建物の中で、33℃を越えています。

この猛暑の中、木曽青峰高校生徒の夏休み最大のイベントであるフォークリフト操作の講習会が、資料館のある青峰高校新開キャンパスで開かれています。
講師の自動車学校の教官から、ときにやさしく、ときに厳しい注意が飛んで来ます。汗を拭くゆとりもなく、回数を重ねて技術を体にしみ込ませていくのです。
明日の午後の試験まで、ひたすら経験を積んで合格を目指すのです。

これもこの新開キャンパス独自のユニークな季節の便りです。

ミツデカエデの実が見事です

きょうも、いつもの資料館下の黒川の吊り橋のところです。
ミツデカエデの実がいつのまにか大きくなって垂れ下がっています。
カエデの仲間は実が垂れ下がるのが多いのですが、このミツデカエデが果序の長さでは一番で、10~20cmになります。このあと次第に熟して茶色が濃くなっていき、9月下旬から10月になると、風に乗ってくるくる廻りながら飛んでいきます。

木曽谷もようやくツユが明けたと思ったら、この2・3日猛暑です。吊り橋の方からヒグラシの声が聞こえました。
季節は夏本番です。

 

<付記>明日、8月2日は大相撲の巡業が松本市で開かれます。御嶽海の地元での顔見せが楽しみです。先ほど、資料館にお見えになった大道久司君(御嶽海の本名)を中学時代に指導された安藤均先生が、明日は御嶽海を激励してくるとニコニコ話していました。

 

 

水無神社のみこしまくり

木曽谷の夏祭りの最大のものが、水無神社の例大祭です。
毎年、7月22日・23日に行われます。ツユ末期の豪雨に見舞われる年もあれば、ツユ明けの猛暑に夕立が降ることもあります。この祭りに雨はつきものです。
初日は枠持ち(かつぎ手)が祝い歌を歌いながら、ときに「神歌」をつけ加え、町内を練りあるきます。
夜の花火も楽しみであす。狭い谷の中にドーンという音が響くと、お腹にズーンと応えます。音を楽しむ花火です。
2日目も残る町屋を巡行(渡御という)し、夕方には旧中山道の北東の端の鴨居坂に着きます。ここで御輿の飾り金具をはずし、御輿を水で清めます。北西の黒川の谷間に飛騨を望む場所からいよいよ「みこしまくり」が始まります。
転がす時の掛け声は「ソースケ・コースケ」に変わり、担ぎ上げては落とし、放りだしてはまた転がします。
御輿を転がすのには横まくりと縦まくりがあります。右の写真は街の中心地の四つ角で、クアライマックスに入った縦まくりのシーンです。

祭りは御輿がすっかり壊れるまで続き、見物する観衆は壊れた木のカケラを競って拾います。ご利益があるそうです。
こうして夏の夜が更けて、こもっていた熱気も沈んでいくと、木曽谷の季節はまたひとつ先に進みます。
(撮影:三尾秀一)

権現滝

木曽町福島地籍にある城山国有林にある「権現滝」です。ツユが続いていて水量は結構多めです。この滝は木曽義仲が平家追討の兵を挙げた際に、勝利祈願のためにここで御嶽大権現の出現を沐浴祈願したことから、この名がついたといわれています。

この場所は、木曽山林高校(現・木曽青峰高校)の演習林から尾根越しの位置にあり、一帯は「城山史跡の森」に指定されていて演習林とつながるハイキングコースが設置されています。最近は外国人の姿もちらほらするようになりました。

一度、訪れてみてはいかがですか。

カリンの実

木曽では珍しいカリンに出くわしました。

木曽町の旧・上田小学校の校舎に出掛けたスタッフが、校舎の前庭に緑のきれいな実がぶらさがっているのを発見して、一枝とってきました。
資料館にいた面々がいろんな果物の名前をあげたのですが、確証がありません。

やがて、Sさんがスマホで検索したところ「カリン」だということがわかりました。木曽にはもちろん野生ではありませんし、栽培しているのもあまり見ません。
まだ若い実で、これから形が変化していくかもしれませんが、まず、カリンに間違いはないでしょう。
さわやかな緑色の葉と果実がツユ空の下で見る人に元気をもたらしてくれました。

季節はどんどん進んでいきます。

梅雨前線の大雨

ここ数日間の梅雨前線による豪雨で鹿児島はじめ九州各地に被害がでています。
木曽では7月3日の夜から4日の朝にかけて、激しい雨が降り続きましたが、被害が出る前に雨雲は東に駆け抜けていき、やれやれというところです。
資料館の横を流れる黒川にかかる吊り橋付近は、通常は直下の黒川渡ダムの平水域に含まれるので緩やかな流れなのですが、きょうは大雨の影響でダムで放水を行ったので、久しぶりに白い波頭を立てて水が流れていました。

この吊り橋は「城山橋」と名付けられていて、演習林の斜面を登っていくと、戦国時代に木曽氏が構築した山城に行くのでその名がつけられました。木曽山林高校の土木を担当していた「千村和彦先生(故人)」が設計されたものです。