きょうは、久しぶりに資料館の室内温度が30度を下回り、ほっとしています。
きょうのブログをいろいろ考えてみましたが、やはり「展示物の紹介」に気持ちが向かってしまいます。まだまだ、公開展示をしていない逸品がぞくぞくと頭の中に湧いてくるのです。
そこで今日は、山林学校時代に授業で使った「掛図」を紹介しましょう。
現代は小・中・高どこでも、先生方はプロジェクターを使って地図とか標本を写しだしたり、場合によっては動画も見せたりして便利な世の中になりました。
木曾山林学校時代は、その代わりをしたのが掛図でした。資料館の収蔵庫にはいろいろな掛図が残っています。教材掛図を専門に作製して学校に売り込む業者もいましたが、きょうは珍しい手作りの掛図をご覧にいれましょう。
作者は、山林学校の卒業生で本校の助手をやっていた《川崎本雄》氏です。山林学校の第4回生で、木曽福島の出身です。当時、初めて助手として採用され、先生の実習での指導を手伝い、授業の準備などを行っていました。
運動も得意で卒業後、新潟県の妙高高原で開かれた日本で最初の外人によるスキーの講習会に参加してスキーをマスターし、木曽に初めてスキーを紹介をしたのが彼でした。
大正時代に同窓会の設立を卒業生に呼びかけ、「蘇門会」という名前の同窓会を立ち上げるのに大きな力を発揮しました。
さて、具体的な掛図の紹介ですが、川崎本雄氏がおそらく書物から写し取ったものと思われます。左は「炭竃」の断面図、右は木材を運搬するときの橇(そり)ですが、コピー機もなかった時代にこうした掛図が教室で活躍したのでしょう。
当館には教材用の掛図が十数点残っていますが、機会があれば「昔の授業風景」というようなタイトルの展示ができれば面白いなと密かに思っています。

帝室林野局技師による木曾山林学校での講義が本格化したのは、昭和9年(1931)からで、3年生が卒業する直前の2月に、実際の林業の現場で役立つような実践的な講義が行われ、講義録も印刷され、OBにも配布されました。
これには困りました。そこで使用説明書をよくよく見たら、ホースで水を外に出せば連続使用が可能なことがわかりました。
第二展示室にOBの著作物コーナーがあって、そこに4・50冊くらいの本が展示されています。歌集や自分史・闘病記・研究論文・海外での活躍を報告するもの等々、内容は実に多彩ですが、その中から著者から直接寄贈を受けた1冊の写真集『山の歳月』を紹介します。
来館された動機は、8月1日に発行された『市民タイムス』(松本の市民タイムス社発行)で「旧木曽山林校舎解体へ」という記事を読まれて、解体される前に一度見ておきたいということでした。
甲田さんは山林学校卒業後に北海道の国有林(内務省所管)に就職し、道内各地で林業技術者としての生涯を送りました。退職後には請われて北海道森林管理局所管の「洞爺湖森林博物館」の館長を務められました。その仕事も一段落したとき、これで自分の林業一筋の生活が終わったことに安堵し、生涯にわたって手許に置いて参考にしてきた教科書をすべて母校に送ってくれたということです。
母校の創立百周年を記念し、歴史の貴重な語り部として大切に保存していただきたいと、母校に返却されたものである。
きょうのブログは先週に引き続いて「展示物の紹介(その2)」ということで、御嶽山の高山植物の標本(押し葉)をご紹介します。製作者は安藤時雄第三代木曾山林学校校長です。安藤先生は若干29歳で校長として赴任されました。植物に詳しく生徒に直接指導されることが多かったという話が残っています。